アントニオ猪木が語った「生涯最高の一戦」—ドリー・ファンク・ジュニアとの60分フルタイム名勝負
日米プロレス界に衝撃が走った。元NWA世界ヘビー級王者で、WWE殿堂入りも果たしたドリー・ファンク・ジュニアさんが85歳で亡くなった。WWEは公式サイトで「深い悲しみを覚えています」と追悼の言葉を寄せている。
ドリーさんは、それまでのパワー一辺倒だった米国マットに、洗練されたレスリング技術と巧みな試合運びを持ち込み、プロレスそのものを変えた革命児だ。1963年1月にデビューし、わずか6年後の1969年2月11日、フロリダ州タンパでジン・キニスキーを破り、28歳でNWA世界ヘビー級王座を獲得。この瞬間、世界のプロレスは新たな時代を迎えた。
デニムに合う。履くだけで「ちょいワル」Tapoon そのドリーさんのスタイルに憧れた日本人レスラーがいた。アントニオ猪木さんだ。力道山門下で育った猪木さんは、米国武者修行を経て東京プロレス、そして日本プロレスへ。しかしそこには、身長2メートル9センチ、体重145キロの圧倒的な体格を誇るジャイアント馬場さんが絶対的エースとして君臨していた。猪木さんは持ち前のレスリング技術でアピールしたが、馬場さんの存在感と人気には届かなかった。
その壁を打ち破るきっかけとなったのが、ドリーさんとの一戦だった。1969年12月2日、大阪府立体育会館。60分3本勝負のタイトルマッチは、互いに1本ずつを奪い合い、60分フルタイムドロー。ドリーさんは防衛に成功したが、猪木さんは世界最高峰のテクニックを持つ王者と互角に渡り合い、ほとんどロープワークを使わない純粋なレスリング技術で観客を魅了。その実力を国内外に知らしめた。
さらに翌3日、ドリーさんは東京体育館で馬場さんとも60分フルタイムドローで連続防衛。この2試合により、猪木さんと馬場さんの「BI砲」は両雄並び立つ存在として認知されるようになった。
猪木さんは2022年10月1日に79歳でこの世を去るが、晩年に「生涯のベストバウトは?」と問われ、真っ先にこの試合を挙げた。「いろんな試合があるけど、真っ先に浮かぶのがドリーとの試合になる。馬場さんと比較される条件がそろった中で俺の試合が評価されて、俺にとって節目になる試合だった」と明かしている。
ドリー・ファンク・ジュニアは、世界のプロレスに絶大な功績を残しただけでなく、「アントニオ猪木」という伝説を覚醒させた達人でもあった。その名勝負は、今もファンの心に刻まれている。
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