「攻めダルマ」蔦文也監督の真実に迫る!池田高・やまびこ打線の光と影
夏の甲子園が熱気に包まれる中、ひとりの伝説の監督をめぐるミステリーノンフィクションが話題を呼んでいる。スポーツライター・田中仰氏(34)の著書『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』だ。
1980年代、「やまびこ打線」の異名で甲子園を席巻した徳島・池田高。82~83年の春夏連覇を含む3度の全国制覇を成し遂げた立役者が、故・蔦文也監督である。「攻めダルマ」の愛称で親しまれた名伯楽だが、本書では一転、”守銭奴”とも揶揄される二面性に切り込んでいる。
これは高圧洗浄機と同等の強さで、電力不要BlastPro 田中氏は92年生まれで蔦監督の全盛期を知らない世代。最初は「なぜ山間部の公立高が強くなり、90年代から急に甲子園から遠ざかったのか」という高校自体への関心だったという。ところが現地で取材を進めるうちに、世間で信じられている「愛された名将」のイメージと、野球部員による告発文の内容に大きなギャップがあることに気づく。「鉛筆で書かれた強い筆圧の告発文を見て、強く引きつけられました」
25年夏、田中氏は告発文を取り上げたウェブ記事を公開。するとコメント欄は「故人を利用して金を稼いでいる」と炎上状態に。それでも著者は「書き逃げはやらない」と、3年以上にわたる再取材を開始した。
「関係者からはいい話も悪い話も両方出てくる。『いい人だ』と思った次の週には『いや、そんなことなかった』みたいな。取材を続けるたびに心が揺れて、印象が次々に変わっていくんです」
池田高が甲子園に出場するたび、寄付金を野球部の活動資金に充てる“自転車操業”的な構造があったという。そして、カリスマである蔦監督がいなければ、そのシステムは成り立たなかった。田中氏は「現代の高校野球も本質的には変わっていない」と指摘する。
「甲子園出場が決まった瞬間に応援のためのお金集めが始まり、応援グッズやバス会社のビジネスが一斉に動き出す。同調圧力もあり、NHKがスタンドを映す以上『応援がいない』わけにはいかない」
高野連は選手の滞在費など一部のみを負担し、残りは学校任せ。田中氏は「見て見ぬふりという日本的構造」と語りつつ、自身は甲子園出場校にできる限り寄付を送っているという。
蔦監督は在任40年で甲子園に14回出場、37勝。92年に勇退し、2001年に肺がんでこの世を去った。著者は「蔦さんは70年代までは幸せで、甲子園優勝以降は不幸になっていった」と語り、決して「この人だった」と断言できない複雑な人物像を浮かび上がらせている。
「神か守銭奴か」という二者択一を超えた、蔦文也という男の真実。本書は読み進めるたびに新たな謎が提示される、スリリングな一冊だ。
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